思えば、伝えることとは何かを考え続けた1年だったように思う。
未曾有の大惨事となった東日本大震災から丸1年、
震災は、人的、物的に甚大な被害をもたらしただけでなく、
サブカルチャーにも大きな傷跡を残すこととなった。
その無力さと無意味さを白日のもとに晒したからだ。
震災後、サブカル文化人たちのしてきたことは、
風評やデマに踊らされ、口先だけの絆で傷を舐め合い、
中途半端な科学知識を開陳し、右往左往することだけだった。
わたしのようなサブカル愛好者とて同じこと。
彼らサブカル文化人の垂れ流す無意味な言説を
ただ聞いているだけだったのだから。
サブカルチャーが描き続けてきたのはなんだったのか。
SFは災害時にどう振る舞えばいいのかを描いていたのではなかったか
セカイ系は隣人を助けることが世界を救う道だと訴えていなかったか
日常系は関係性こそが人々を支える要だと訴えていなかったか
「ひぐらしのなく頃に」という作品がある。
古い因習に囚われた村で起こる惨劇を
主人公たちがループする世界の中で回避していくという話だ。
さりとて複雑怪奇な惨劇は無力な主人公たちで防げるはずもなく、
繰り返す悲劇と回避できない無力感がループしていく。
そんな中で見つけたルール
”伝えなければ、何も伝わらない”
”伝えることができれば、仲間を信じることができる”
”信じられる仲間とならば、どんな困難も克服できる”
単純だけれど、だからこそ真実に一番近い。
困難を前にした猜疑心と相互不信。
わたしたちを取り巻く状況はひぐらしと瓜二つだ。
今必要なのは口先だけの絆ではない。まずは自分の思いを伝えることだ。
わたしの思いをあなたに伝えよう。
それがどれだけ陳腐な内容で、
それがどれだけ稚拙な文章でも、
あなたに向けた言葉ならば、それは決して無意味ではない。
その先に信頼があり、信頼の先に問題の解決が見えてくるのだから。
そう。1年間考えた答えは、とてもシンプルなものだったのだ。
平成24年3月11日 海の見える街にて